カルバドス界の名士として名高いクールドリヨン社のオーナー、クリスチャン・ドルーアン氏。同氏のプライベートストックを瓶詰めしたカルバドスとして、その稀少性と質の高さが広く認められている「ローリストン」。
新シリーズ「レ・パルセレール」第三弾。パルセレールとは、区画の総称。それぞれ異なる土壌や気候の特徴を持つ個々の土地、造り手のノウハウに焦点を当て、シングルカスクとしてシリーズ化していく商品です。
60% 洋ナシ、40%リンゴ
キャラメルをかけた洋ナシ、リッチな風味で生産者はドンフロンテ地区のレオン・ペルーアン氏(現在は生産していない小規模農家)で今後、2度と手に入らないであろう貴重な原酒です。
以下、資料
【歴史】ローリストンとAOCについてのストーリー
金融と紙幣の父と呼ばれたジョン・ロー(1671~1729年)や、フランス元帥で国務大臣のジャック・アレクサンドル・ベルナール・ロー侯爵(1768~1828年)を先祖に持つスコットランド系の貴族ルイ・ド・ローリストンは、現在のドンフロント・カルバドスの代表格として知られるカルバドスに、なぜ、どのようにしてその名をつけたのだろうか。ルイ・ド・ローリストンは、現在では独自の原産地統制呼称(AOC)によって認められているドンフロンテ・カルバドスを非合法の影から救い出し、その名声を獲得した人物である。
第二次世界大戦後の数年間、シードルブランデーや発泡性洋ナシワインの主な販売先を奪われた多くの農家が、小規模農家で生き残るために密造酒製造業者になった。違法生産がブームになり、密造者は手ごろな値段で買い、現金で支払う......。しかし、政府はこの状況に終止符を打とうとしていた。1962年8月のある夜、バニョル・ド・ロルヌ近郊の農場で違法な蒸留が行われているとの通報を受けた政府関係者が、密造者たちが懸命に作業しているところに乱入した。彼らの到着から1時間も経たないうちに、近隣の農家が、自分たちの農家が危険な状態にあるとの密告を受け、その農場に押し寄せた。群衆に圧倒された税務署員たちは、半円形に並んだトラクターや車の明るいヘッドライトを背に、馬小屋の壁に並ばざるを得なかった。事態が悪化するのを察知した農民の小集団は、当時地元農民組合連盟の事務局長であったルイ・ド・ローリストン伯爵の家を訪ね、事態を解決する方法を見つける手助けをしてくれるよう頼んだ。
夜の10時、ルイ・ド・ローリストンが農場に行くと、そこは特に熱気に包まれていた。彼は何とか事態を沈静化させようとしたが、火は消えなかった。政府との交渉が始まり、政府はルイ・ド・ローリストンがすべての慣習的な義務を果たすカルバドスを貯蔵する貯蔵庫を作ることができれば、寛大な措置を取ると確約した。密造者に課された罰金は取り消され、さらに政府は、セラーに納められた違法な在庫を罰則なしで合法化することになった。
公的資金により熟成庫が建設され、1965年には420の生産者がカルバドスを納品し、違法在庫を合法化した。ミッションは達成された。ルイ・ド・ローリストンは、セラーの管理を副社長に譲り、カルバドスをルイ・ド・ローリストン伯爵のブランドで販売する権利を与え、その品質を保証し、厳しい規則を設けた。
1990年、長期的なビジョンに突き動かされた数人の生産者が、ノルマンディーのアップルブランデーをフランスにおける一流の蒸留酒に加えることを目指し、ルイ・ド・ローリストンをドンフロンテ・カルバドスの原産地呼称のための組合の会長となるように再び召喚した。彼らはこのブランデーを、洋梨の比率が高いという特徴を持つ、壮大で高貴なオー・ド・ビーにしようと考えた。INAO(国立原産地名称研究所)は常にこれを支持していた。並外れた冒険と彼らの努力により、ドンフロンテ・カルバドスは1997年、ついに原産地統制呼称(Appellation d'Origine Contrôlée)を取得した。